この傷が、痛みが、悲しみが僕を作ってる
珍しく2記事。本当はこちらがメインでしたが、記事内容的に重いので分けました。並行していろいろ作業してたら遅くなっちゃった…。
私を証明するもの
みんなたちにとって、自分を証明するものって何ですか?
私の場合は「痛み」です。
だから、私の創作はネガティブです。痛みや傷について表明することで、自分の存在証明をしている。そして、その先で人と繋がりたいと思っている。それは一般的に言えば「深く繋がりたい」ということなんだと思います。
村上春樹著『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』で、「人は痛みによって深く繋がる」という旨のフレーズが出てきます。
https://note.com/hashilab/n/n41f0194bfd69
私にとって「人と繋がっている(と感じられる)」ことは、「苦しかった過去(痛み)を共有し合う」ことなんですよね。もちろんそればかりではないけど。
だから、「自分を知ってほしい」という気持ちで歌を歌っている。「自分はこんな傷を負って、ここまで歩いてきた。そして自分はここにいる。この世界にいる。だれか、気付いて、お願い」という気持ちで歌っている。
歌を歌うことは、自分の存在証明だ。そして、それを多くの人に向けてやるのが、自分のコミュニケーション、自己開示のひとつの方法なのだ、と思う。
調和は?
一方で私はよくイベントを企画する人間です。イベントの中で私は「調和を創造する」ということを大事にしています。
これが一見先の存在証明と矛盾するように見えると思うんですが、実はかなり深く繋がっているのです。
私個人は、強く痛み(ここでは寂しさの意味)を知る人間です。だからこそ、少しでも多くの人に届くよう、寂しさを癒すような調和を創っていきたい、と思うんですね。
正直な話、痛みの話って結構聞くのに体力いるし、自分は特に、人を選ぶし…。あんまり誰彼構わずできるものでもないから、話す流れがくれば、自然と話している気がする。その点、調和は人を選ばないので広がりがある。
それだとイベントやるのは人と繋がるためにやってないってこと?
そういうことです。笑
イベント、人と繋がる目的でやってない!!!
イベントやるのは、ほんとに趣味なんですよね。調和創造も趣味。のびのび自己表現できて、それで人が楽しそうにしてる空間というのがすきだから創ってる。
だからそこに自分個人への理解とかを、あんまり求めようと思わないんだよなー、と。楽しければ別に………そんな理解とかなくても楽しいし……という気持ちになりました。
私があんまりイベントを収益化しようと思わないのは、趣味だから、のびのびやり続けたいから。儲けのこと考えながら趣味やるの、嫌だし……。そこまで頑張れないよ〜になった。
諦めるな
どんな絶望的な状況でも、逆風が吹いてようと、己の人生は己にしか演じられない。だから、どんな苦難が降り注ごうと、諦めるな。ゆるいように見えて硬く、細いように見えてしなやかであれ。あなたが諦めなかったことが、いつか世界の希望になる日まで。