あまりに切実な思いをもつとき、人のこころはまるで積もる雪がほろりと解けて、したたる涙がきらめくようにひかる、春のように
綺麗だねえ…。
今は七十二候で言うと「菊花開(きくのはなひらく)」、二十四節気では「寒露」にあたります。季節としては稲刈りが終わって、菊の花が美しい時期です。
そういえば秋ばらの時期でもありますね。ああ、ばら園行きたい…。庭園は数行けど、やはりばらの庭園がかなり好きなんですね。ばらは品種が多いので、それだけでも見応えがあるのはもちろんなんだけど、そもそも咲いた姿がほんとうに美しい。花の数や花弁の大きさで、わざわざ見栄えを繕わなくたって十分美しいのがいいです。そういえば花屋さんでも、ここ最近は観賞用にボリューミーな品種が好まれるから、スリムな品種はあまり入荷しなくなったんですと言っていた。残念なことです。薔薇なんか一本で主役級に映えるのにね。
backroomsの実況を観ました
最近はホラゲの実況を観るのにハマっています。直近でのお気に入りはクリーピーパスタのbackroomsを元ネタにしたゲームのthe complex expeditionです。リミナルスペースがすごく好きなんですよね。私の夢にもああいう感じの部屋が出てきたことがありました。ホワイトキューブで、白いタイルの吹き抜けの大きな部屋。誰かの夢の中みたいな世界なのがいいですよね。ストレス削減効果ありそう。
熱が出ていました
今月2回目の体調不良でした。2日程度高熱で何もできず寝てました。新月と満月の直前に体調不良になってる。何かの予兆かなあ…。毒気が抜けて、新しい自分になれてたら嬉しいな。
謙虚と誠実
では今日のタイトル回収行きましょう。だんだんブログの型ができてきて、嬉しいです。
謙虚であることと、誠実であること。これって、どんな違いがあると思いますか。
まず謙虚とは何か。謙虚とは、威張らず慎ましやかでいること。漢字から考えるなら、へりくだって、心をからっぽにして昂らないことだそうです。(以下出典)
https://kanjibunka.com/kanji-faq/mean/q0450/
もう少し深く意味付けるなら、自分の考えに固執せず、傲慢にならず、相手を敬って、相手の言うことを傾聴する。ということかと思います。
では誠実とは何か。これはいろいろぶれがあったので、私なりにまとめると、人に対して真心を持って接すること、だと思います。真心とは何か。飾り気なく、真剣に相手に尽くす心のこと。相手を想い、相手の豊かさのために自分の力を尽くすことができること。
なんで突然こんな話をしているかというと、最近この違いについて意識する出来事があったからなんですね。
謙虚さが足りない人って、どんな人だと思いますか。自分の意見や考えに固執して、偉そうで、という特徴もあるんですが、いちばん大きな特徴は「相手の話を聞かない人」だと思います。相手の話を聞くってなんだろう。傾聴することですね。傾聴とは、興味や関心を持ちながら相手の話を聞くことです。そこにジャッジ(主観的判断)は入りません。話を聞かない人は、ジャッジが強い傾向があると思います。
ジャッジが強いと、傲慢に見えるんですね。例え本人がそう思っていなくても、周囲からは「あの人は自分の好き嫌いでしか人の話を聞かない人」という風に判断されてしまいます。これが昂じると、「あの人の気に入らないであろう話はしないでおこう(例えそれが本人に必要な話であっても)」という状況を招きがちです。自分に都合の良い話しか入ってこない状況というのは、非常に不健全であると思います。そして得てして、そういう状況に慣れてしまうと、不都合なことに対する自分の力(レジリエンスや耐久力)は身につかないし、何より情報の良し悪しを判断する力もつきません。つまり、謙虚さが足りない人は総じて子供っぽいであろうと言えます。
さて、では誠実さが足りない人はどうか。これは「人への対応が雑である」人が当てはまります。私はこの傾向がありますね…。
人への対応が雑であるということは、例えばお礼や気遣いが足りないとか、約束を平気で破るとか、自己中心的に振る舞って相手を振り回すとか。具体例はたくさんありますが、ひとことで言うなら「人を見下している」ということだと思います。
人を見下す感覚というのは、「なんで自分がそこまでしないといけないの」というフレーズに最もよく現れます。このフレーズが頻繁に出てくる場合は人を見下している場合が多いです。本人自体は見下しているという感覚がなかったとしても、存在を軽んじている場合が多いです。人間の最も重要な資産は、時間だと私は思っています。他者が自分に使ってくれる時間の重要さを実感できていないと、他人を軽んじがちになるかなと思います。他人を軽んじる人間には信頼が生まれません。総じて、誠実でない人間は孤独です。温かさのある人間関係を育めないことも、また不健全だと思います。
もう少し具体例出してみます。謙虚で誠実じゃない人がいるとすれば、人の話はよく聞くし基本的に腰が低いけれど、人に対して嘘をついて誤魔化したり、約束を破ってもそのフォローもないような人ですね。悪い子じゃないけど付き合いたくない女友達みたいな。単純に信頼を失うタイプ。
逆に誠実だけど謙虚じゃない人がいるとすれば、嘘をついたり約束を破ったりはしないけれど、人の話は全然聞かないし自分勝手に生きているような人です。生き方に文句言われたくないけど、幼女に飴とかはくれるギャンブル好きな親戚のおじさんみたいなかんじですね。
これが少しニュアンスの違うところで、重きを置かれてるポイントが違う。謙虚さって自分の内面スタンスの問題なんですよね。それに対して、誠実さって対人、外面スタンスの問題なんですよ。
傲岸と不実、謙虚と誠実。似ているようだけれど、実は結構中身が違うなあと思ったのでした。人に伝えようと思う時、物事への理解が深まっていいですね。
kiss you
あたしは、あたしの一等賞に向かって走っていくしかない。たとえそれが誰の目にも届かない場所だったとしても、誰がわかってくれなくても、いつだってあたしの運命に対して、いつも銃口を向けていなきゃいけないんだ。だってそうじゃなきゃ、あたしは多分走れない。運命に脅されてるから、迫られてるから、全力で奮い立つような力が生まれるんだ。魂の声が呼ぶ方に、抗っちゃいけない。いつだって自信なんかありはしないけれど、あたしはそれでも、あたしの運命と抱き合わせだから。心中するなら、クールでちょっと背の高い、つま先のとんがったエナメルローファーの似合うイケメンがいいじゃん。運命ってそんな感じかな?そもそも、あたしってランデブーに相応しい相手かな。わかんないけど、赤い靴下で会いに行くよ。その時は、海より青いシャツを着てきてね、約束なんだから。